1985年8月5日、早朝の便で伊丹から沖縄にスクバーダイビングを座間味の為、乗っていました。宿で事故をTVで知りました。墜落のジャンボの前の前の便に乗っていたのです。会社の先輩がJALの客室乗務員で確認しました。伊丹から沖縄、羽田そして、伊丹が一日のスケジュールでした。ガタガタして、乗客の空きが多かった、親切な客室乗務員の面影も今もあります。二便前、運命のようなものを感じます。結婚もし会社も辞めて、妻を亡くし、二人の子を育てられたのも、奇跡のようです。毎年この日、あの夏の一日を回想します。上を向いて歩こう
