善く生きる

道徳的、倫理的な意味合いではありません。社会がつくった、ものを、虚構性を見抜いて、そして、虚像だと、作り物だと発見することです。そして、それらの思い込みをフリーズして、自由な発想が出来るようにすることが、「善く生きる」ことだと思います。それもこれも、考えないといけない。それも、頭をさぼらせてはいけない。常に無理をしてでも、考えることだと思います。