血はなられている、歴史とはそういうものだと考えます。なぜなのか。降参しない。捕虜ではなく武装解除。親や兄弟、親戚に顔向けできない。食べるものが無くても、着るものが無くても、我慢して、我慢して、辛抱して生きてきた人たちの思い、戦陣訓、生きて虜囚の辱めを受けず、が捕虜にもなれず、自殺もできない。理解は出来なくとも、その時のその祖先の想いを思うことは大切であり、供養になると考えます。今の日本、運命に向き合い、理不尽なことをやり切った祖先があるから今があります。感謝いたします。何を今後考えなければならないのか。考える機会です。
