嫁の死

平成14年6月3日AM6;30 乳がんで亡くなりました。その約2年前、右胸に大きなしこりを本人が発見、府立病院で診察、ステージ3でした。右胸の切除を決断しましたが、魔の悪いことにその時お腹に子供(現在の長男)がいました。産婦人科医はうめる、外科は無理ともめましただ、アメリカでお腹の赤ちゃんが長時間麻酔に耐えられ影響がない麻酔薬を見つけて頂きました。府立では事例がありません。

手術は無事に終わりましたが、リンパ腺から転移がわかりました。抗がん剤治療を行いましたが全身転移してしまいました。苦しむ姿を見て密かに担当医に会いモルヒネの量を倍にしてもらうように依頼し受け入れて頂きました。苦渋の決断ですが、死がはっきりしており本人の苦痛緩和を優先しました。腹水がたまり天井がぐるぐる回転、オムツ等 おねいさんが泊まり込みで看病して頂きました。感謝しております。葬儀には約250名お越し頂きました。感謝申し上げます。今思えば①嫁のお父さんより「何でこうなったんだ!修一君」と言われたときは絶句しました。逆ねんの不幸は深いですね。八木の農家が実家です。嫁には早く家から独立して欲しい、周りの目があるからと強いストレスを与えておられました。嫁から散々聞きました。②不動産屋さんに勤めていたのですが発病から社長からは、給料を月給から日給そして時給に替えられたのは弱い立場の辛さ、世の中の無情を感じました。看病に時間をかけられるだろうとの考えからです。③亡くなって涙は出なかったです。それよりも2歳と4歳をどう育てるか?保育園、入浴、おしめ、座薬、弁当つくり、PTA、ミルク造りそして仕事などで頭がいっぱいでした。④南区の不動産屋の社長さんより「いつも明るく元気で前向きに!」と肩を叩かれた事は励みになりました.私より長生きだと考えておりましたがわからないものですね。本人が一番苦しく無念であったのではと心の中で今思います。感謝申し上げます。冥福をお祈りいたします。たまに税理士さんに頂いたお線香をたいております。16年後の夏です。

 

 

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