運次第

遭難するかしないかは運次第という話になりますが、人間は不十分は生き物である以上、そういゆ部分はあると思います。勿論、責任を運に転嫁しているわけではないです。たいていの場合、責任はすべて自分に有ります。道迷いで谷に下り打撲傷、歩けなくなり、足と顔にうじがつき、意識朦朧とする状態で後悔のみ。山で数年後に頭蓋骨が発見され、DNNで身元確認されます。胴体はないのでクマとうに持ち去られたと思います。遭難は悲惨です。毎年行方不明者が後を絶たないです。社会の枠に守られている安心感は非現実的な状況でやっとわかるわけです。

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気配が違います。