長谷工に就職する

1982年長谷川工務店(大阪淀屋橋)東証一部1808番に就職しました。その前年10月に慌てて会社訪問をしてその日のうち夜8時に内定を頂きました。その一週間前まで北海道にいました。採用最終だそうでした。一瞬で人生決まりました。自衛隊で訓練の後、大阪淀屋橋に勤務しました。バブルの時でマンションを売って売って売りまくれの威勢のいい良い時代。何しろ忙しく、最高180日連続勤務もありフラフラでした。よく食べてよく飲みました。淀川区、東淀川区、神戸、京都、大津など新築マンションを販売しておりました。あの当時はマンションは一戸だけ購入前の一時的な住まいとお考えの方も多かったです。価格も今よりかなり安く購入しやすかったです。あのころは阪急は十三の次は大宮駅停車で睡眠が楽しみでした。大阪には昼美味しい店も多く懐かしいです。くず肉ライス、オムライス 今でも駅ビルの店には大阪に行く機会があれば伺います。懐かしいですね。安い寿司屋さんですが、夫婦共に気さくです。今長谷工にいる人は、風の便りで、今年間休日133日以上、関連会社の役員、部長をやっているようです。大手企業から何故辞めたのか?あの頃酸素が足らなく行き苦しかったのは事実です。世間から社会に行きたかったのではないでしょうか?大企業には流石一流という人がいるのもこの目で見ました。積算でも設計でも。平の私の名刺でも取引先企業の社長さんが私にぺこぺこ挨拶されました。会社の名前での実力で、個人の私の実力では決してないのはわかっていました。会社という安定した収入の世間から個性のある不安定な未知数の個人の世界に行きたかったのかもしれません。人生って不思議ですよね。今も時々なぜ?辞めたのか自分の心に聞いています。何しろよく働きました。本当に!いろんな人に出会いました。自分の人生は自分で切り開き向上するようにしたい。目標は出来ました。お世話になった皆様に感謝申し上げます。

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