40.私の母と豊子ちゃん

私の母と豊子ちゃんは親しくしていました。豊子ちゃんは8人兄弟姉妹の長男の子で母は次女です。お墓が京都にある関係上、皆が京都の墓参りで母が関与しお世話していました。豊子ちゃんは立場上いつも恐縮していました。体が動かなくなり、車の運転も出来なくなり売却。買い物はその時から亡くなるまで、母が豊子ちゃんから電話でいるものを聞き買い物して、友人の青木さんか八木の洋子さんが車で概ね1週間に1度届けていました。約1年以上なくなるまで続きました。パーキンソン病でした。病名がわかるまで時間がかかり多数の病院に行きました。病名が分からない苦しさは大変なものがあったと推測します。また、緑さんに対しての気持ちは複雑だったと思います。心配かけたくない。気持ちを共有したい。

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